森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫) 書籍 2015年06月11日 0 サブタイトルの通りの内容だが、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路、「フランス人の道」を筆者が歩いた記録である。サンティアゴ・デ・コンポステーラは使徒聖ヤコブ(イアゴ)の墓所がある土地で、古くからのカトリックの巡礼地である。とはいえ、筆者の森知子がこの巡礼路を歩くのは信仰心からではなく、イギリス人の夫との事実上の離婚(法的にはまだ離婚の手続きは済んでいないが)という精神的なショックが動機であり、また旅の原動力であったようだ。そういう経緯で始まった旅だが文章は湿っぽくなることもなく、むしろ「ファッキン」が連発するフランク過ぎるほどの文体だ。「カミーノ」というのは道という意味で、もう少し具体的に「巡礼路」くらいの意味で使われているようだ。そのカミーノを歩くのが「ペリグリーノ」すなわち巡礼者。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道、カミーノを歩くのは冒険行ではない。登山のような危険は少ない。道は巡礼の印である貝殻と黄色の矢印の道標を辿っていけばいい。道の所々にペリグリーノが水を補給できるための蛇口が用意され、何なら通りかかった村のバルでビールを一杯飲んでいってもいい。アルベルゲという巡礼宿があり、場所によっては無償である。もちろん、快適さを求めるなら普通のホテルに泊まってもいい。おまけにペリグリーノの医療費は無料なのである。毎日歩き続ける体の辛さはあるし、虫に刺されたり、強烈な日差しに焼かれたり、いろいろ面倒事はあるだろうけれども、これだけ歩く者へのサポートがあって、スペインの田舎道を歩く楽しみをたっぷり味わえるのは本当に羨ましい。筆者の森知子はサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約810キロを41日かけて歩いている。一日平均20キロほどだ。この40日ちょっとという期間がまたいい。やはり日数が短いと、旅という非日常の世界にドップリ浸かるというところまでいけない。かと言って、長ければ長いほどいいかというと、どうやらそうでもなさそうなのである。超長期の旅行記を読むと決まって書いてあることがある。旅を続けているうちに非日常であるはずの異国での旅がいつしか当たり前の毎日になり、何を見ても、どこへ行っても、何も感じない。感性が摩耗して心が動かなくなる、という状態に陥るのである。我々はつい、旅が長ければ長いほど、移動する距離が長ければ長いほど、それに正比例するように豊かな経験や感動が得られると考えてしまうが、どうやらそうではないようなのだ。その点、このカミーノの40日ちょっとという期間は長旅の「美味しい」ところを味わうのに丁度よさそうなのだ。この本は、一日ごとの出来事を日記式に書いている。森知子はもともとライターであり、はじめから記事にするつもりで記録をつけているので、日々のちょっとした出来事も生き生きと描かれている。あまり期間が長ければダレてしまってこうは書けなかっただろう。こうした長旅ではよくあることのようだが、歩く速さが近い他のペリグリーノとは特に歩調を合わせていなくても、追い越したり追い越されたりしながら何度も出会い、親しくなっていくという現象が起こる。そうして顔見知りになった、世界各地からのペリグリーノのキャラクターの掴み方、描き方が達者で、やがて生まれる巡礼者間の連帯感もよく伝わってくる。徒歩旅行はともかく、海外旅行の経験は豊富な筆者ならではなのだろう。この本で知った言葉がある。ウルトレイア(もっと遠くへ)。いい言葉だ。そして旅の終盤。旅が終わるのが惜しい、もっと旅を続けたいという気持ちに襲われるのも長期旅行記では定番である。その点でも、この巡礼路はよく出来ている。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を済ませた者には更に西のフィステーラ、大西洋に突き出した岬まで歩く道があるのだ。まあオマケみたいなものだが、筆者は3日かけてこの道を歩いている。40日ちょっとという期間は、子供の夏休みとだいたい同じだ。40日ほどの徒歩旅行。大人の夏休み。行けるものなら行ってみたい。いや、長期旅行記をいくつか読んで思うのは、現代日本人なら本当に行きたいと思えばたいていの所には行けるということだ。自分のなかに「本当に行きたい」という思いがこの先、湧いてくるかどうかわからない。だが、憧れは確かにある。村上春樹『雨天炎天』(新潮社)(※村上春樹の巡礼路徒歩旅行記)吉田正仁『リアカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎文庫) [1回]PR