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いろいろ歩いて行くブログ

いろいろ歩いて行った記録です。 山域のカテゴリーはだいたい昭文社の登山地図にしたがっています。

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舘野正樹『日本の樹木』(ちくま新書)

日本の代表的な樹種を取り上げて紹介している。扱われる種類は少ないので、事典と言うよりは読み物。
昔から似たような狙いの本はあったが、生態系の中での樹木の生存戦略といった視点が持ち込まれているところが現代的。

冒頭に樹木の適応戦略として、寿命による三類型が提示される。

1.常緑高木=長い寿命が期待される場合
 安定した平原や緩やかな尾根などの場所
 長い寿命を保つための強い幹や根を持つには成長速度が犠牲になる
 成長の速い他の樹の陰で成長するには常緑であることが有効

2.落葉高木=もう少し寿命が短い場合
 常緑高木ほど幹や根を強くする必要はないので成長を速くできる
 明るい環境で成長できるので、薄くて寿命が短い落葉性の葉が適する

3.中低木=ずっと寿命が短い場合
 ときおり洪水を起こす河川敷など
 幹や根の強度はさらに低くて構わないので中空構造のこともある
 葉は基本的に落葉性
 小さなうちから花を咲かせ、実をつける

草本の戦略は、中低木よりさらに短い寿命を想定したものになる。

常緑高木として、ヒノキの仲間、スギ、モミの仲間、オオシラビソ、ゴヨウマツの仲間、アカマツ、スダジイ、クスノキ、シラカシ、アコウが、落葉高木として、ブナ、コナラの仲間、ケヤキ、カエデの仲間、オオヤマザクラ、ミズキとヤマボウシ、カツラ、ハリエンジュ、カラマツ、イチョウが、中低木として、キリ、ヤマグワ、ヤナギ、ウツギ、ユキツバキが、さらに蔓性の植物としてフジが紹介される。
このくらいの量に絞ってくれた方が、素人の頭には入りやすい。

世界遺産に登録された白神山地はブナ林で知られているが、なんとブナからブナへの更新はできないらしい。
江戸時代初期にはブナとヒノキアスナロの混交林だったものが、木材として有用性の高いヒノキアスナロが選択的に伐採されて今日のブナ林の姿となったという指摘もあり、興味深い。

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国木田独歩『武蔵野』

国木田独歩のこの作品は、学校の文学史で必ず取り上げられるから誰でも知っているが、多くの古典がそうであるようにそれほど読まれているわけでもないだろう。内容から言っても、若い学生の興味を惹くようなものでもない。勉強熱心な学生であっても、文学史上の意義だけ押さえて終わることが多いのではないか。

今日の武蔵野は、新興住宅地とそれに附属する商業地が何処までも取りとめもなく続くような印象を人に与える。開発に取り残された僅かな土地が雑木林として残されている。

独歩は「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。」と書いているが、古典文学に描かれる武蔵野のイメージは、何処までも続く寂しい草原であるようだ。
関東地方は、人の手が加わらなければ照葉樹林に覆われているはずなので、この萱原も焼畑や草刈場として手を加えた結果であろう。
一面の枯野に浮かぶ名月というような文学的類型がどれだけ現実を反映しているかわからないが、中世までは牧として馬などを飼っていたのが江戸時代にはあまり牛馬を飼わなくなり、それだけ雑木林が増えていったのかもしれない。

もう少し引用してみよう。
武蔵野にはけっして禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低く窪くぼんで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底はたいがい水田である。畑はおもに高台にある、高台は林と畑とでさまざまの区劃をなしている。畑はすなわち野である。されば林とても数里にわたるものなく否いな、おそらく一里にわたるものもあるまい、畑とても一眸数里に続くものはなく一座の林の周囲は畑、一頃の畑の三方は林、というような具合で、農家がその間に散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち林に入るかと思えば、たちまち野に出るというような風である。それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままの大原野大森林とは異なっていて、その趣も特異である。
雑木林こそ減ったものの、地形は今も独歩の時代と変わらない。
他の地方から東京の郊外に来た人は、この地形に戸惑うのではなかろうか。実を言えば、武蔵野の地形はそこに住む者にとっても何とも掴みどころがない。

水を得にくい武蔵野の台地は、昔から人の住みにくい土地だった。
そのため江戸時代には、玉川上水や野火止用水のような用水路を引いて開拓が進められた。家を建てると風除けにケヤキなどの木を植えた。利用しにくい丘陵地は、いわゆる里山として利用した。
独歩の描いた武蔵野の風景はこうして作り出された。

その後、東京に集まる人口を収容するために、人の住まなかった高台を住宅地として開発し、「○○台」とか「××ヶ丘」と名前を付けて売り出していったのはよく知られるところである。

この作品は著作権の期限が切れているので、青空文庫などで無料で読むことができる。

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田中淳夫『森林異変 日本の林業に未来はあるか』(平凡社新書)

奥武蔵や奥多摩を歩くと杉が植林された所を歩くことが多く、作業中の林業者の姿を目にすることもしばしばだ。そんなことから林業にちょっとした関心があったので、専門的に過ぎないこの本を手に取ってみた。

今まで日本の林業については、部外者として何となく耳に入ってくる情報から次のような認識を持っていた。

・主に戦後、増え続ける木材の需要に応えるため、山に杉などの針葉樹を盛んに植えた
・人為的に造成された杉や檜などの斉一林は災害や病虫害に弱く、保水力に劣り、また環境保護の観点からも生物多様性に欠けると批判されている
・安価な外材の輸入が増えるとともに高価な国産材は売れなくなり、かつて盛んに植林された杉などには需要がなくなってきている
・その為、ヒトとカネの不足から針葉樹の人工林に充分に手を入れることができなくなっており、必要な間伐がなされなかったり、伐採されたあとに植林されずに放置されることが増えている

以上のような認識を常識のように思っていたが、この本を読んでいくつかの古くなった知識についてアップデートをすることができた。

一番大きく認識を改めなければならなかったのは、安価な外材に押されて国産材が売れなくなったとは必ずしも言えないという点だ。
国産材は場合によっては外材より安いのだが、それでも不合理な商慣行や安定的に供給されないといった問題点があるため、多少高くても使い勝手のいい外材が選ばれてしまうことがあるらしい。

また、外材の輸入がどんどん増えていって国産材の需要は減りつづけているというイメージを持っていたが、これも正しくないらしい。
まず、木材の国際市場で、中国をはじめとする新興国の勢いが強くなっており、日本は買い負けることも出てきたのだとか。この傾向は今後ますます強まっていきそうだ。
次に、熱帯林の伐採に対する環境面からの批判が高まった結果、規制も強まっている。
そして、木材輸出国は原木のまま輸出することを禁止して、国内で加工したものだけを輸出するようになってきたのだとか。

そこから、国産材はむしろ求められる流れにある。
にも関わらず、国産材の価格は上がらないし、林業界は儲かっていないらしい。
山林の所有者、林業者、行政の三者のそれぞれがややこしい隘路に入り込んで身動きが取れない状況にあるのが原因であるように見える。

この本では先進的な取り組みで成功している地域・業者の事例も紹介されており、そこに希望もみえるのだが、林業者の改革の動きは鈍いらしい。
山の所有者が林業から離れて別に仕事を持つことが増えて、山のことを知らなくなり、関心も薄くなっていることも、山が荒れる理由のひとつだ。相続などの結果、その土地を誰が所有しているのかもわからなくなって、手が出せなくなっていることも少なくない。
また、補助金によって低コストで伐採が進む結果、木材がダブついて値が下がるなど、行政の問題が業界の合理化を妨げている面も指摘される。

同じ著者が著した『森と日本人の1500年』(平凡社新書)も、興味深い。

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吉田正仁『リアカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎文庫)

これもまた、タイトルとサブタイトル通りの内容である。幻冬舎の方針なのかもしれない。
もう少し詳しく付け加えると、当時ニートでどちらかというとインドア派だったという著者の吉田正仁は、思い立って、必要な荷物を積んだリアカーを引いて徒歩で上海からポルトガルのロカ岬までのユーラシア大陸横断を試みる。
ロカ岬に辿り着いた著者はそこで満足せず、アメリカに渡り、大西洋岸のアトランティック・シティからカナダのバンクーバーまで北米大陸を横断。次いでオーストラリア大陸も徒歩で横切り、東南アジア諸国を渡り歩いて出発地の上海まで戻る。
総移動距離は、赤道一周と同じ4万キロだという。4年半かかっている。

リアカーに積んだ荷物は70キロ以上。テントなども持って、野宿も多かったようだ。オーストラリアでは一日60キロのペースで歩いたというから驚く。
ちなみに、リアカーのタイヤは井上ゴム工業(IRC)のものを日本から6本持っていったがとうとう使い果たしてしまい、現地でタイヤやチューブを入手するも、どれもすぐにダメになってしまったそうだ。さすがはIRCということか。

旅を終わらせたくなくなる心理現象がこの著者の場合もやはり起きているようで、上海に着いた後も日本に帰る前に台湾一周をして、さらに帰国後も大阪から自宅のある鳥取まで歩いている。心理的なクールダウンの為にも、こうした延長戦は必要になってくるのかもしれない。

しかし、このレベルの旅になると自分も行ってみたい、というような気持ちはまるで湧いてこない。
著者は旅の途中で何度か体調を崩しているようだし、犯罪や事故に巻き込まれる危険もあっただろう。そう考えると、旅行によって得られる満足感より、リスクの方が遥かに大きく感じてしまうのだ。

著者がどういう人物かまったく存じ上げないが、文章から感じる印象は真面目でどちらかというと内向的な青年である。
この旅に同行者はいない。
英語もろくに通じない地域も多かっただろう。
多くの人が歩く道であれば、歩くペースの近い者どうしで親しくなっていく機会もあるだろうが、地球一周の徒歩旅行ともなるとそれも難しい。
自転車旅行者との交流はあったようだが、如何せん、徒歩と自転車とではスピードが違いすぎるため、長くは一緒にいられない。
孤独な旅である。
本には、旅先で出会った人との交流のエピソードが書かれているが、そうした人とも別れて旅を続けなければならない。

この本はつまり青春の記録なのだろう。
だからもう自分では真似はできないし、そんな気持ちも湧いてこない。
ただ少し遠くから眺めて、こんな青春を送った人もいるんだなという感慨が湧き上がる、そんな本だった。

森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)

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森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)

サブタイトルの通りの内容だが、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路、「フランス人の道」を筆者が歩いた記録である。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは使徒聖ヤコブ(イアゴ)の墓所がある土地で、古くからのカトリックの巡礼地である。
とはいえ、筆者の森知子がこの巡礼路を歩くのは信仰心からではなく、イギリス人の夫との事実上の離婚(法的にはまだ離婚の手続きは済んでいないが)という精神的なショックが動機であり、また旅の原動力であったようだ。
そういう経緯で始まった旅だが文章は湿っぽくなることもなく、むしろ「ファッキン」が連発するフランク過ぎるほどの文体だ。

「カミーノ」というのは道という意味で、もう少し具体的に「巡礼路」くらいの意味で使われているようだ。
そのカミーノを歩くのが「ペリグリーノ」すなわち巡礼者。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道、カミーノを歩くのは冒険行ではない。登山のような危険は少ない。
道は巡礼の印である貝殻と黄色の矢印の道標を辿っていけばいい。
道の所々にペリグリーノが水を補給できるための蛇口が用意され、何なら通りかかった村のバルでビールを一杯飲んでいってもいい。
アルベルゲという巡礼宿があり、場所によっては無償である。もちろん、快適さを求めるなら普通のホテルに泊まってもいい。
おまけにペリグリーノの医療費は無料なのである。
毎日歩き続ける体の辛さはあるし、虫に刺されたり、強烈な日差しに焼かれたり、いろいろ面倒事はあるだろうけれども、これだけ歩く者へのサポートがあって、スペインの田舎道を歩く楽しみをたっぷり味わえるのは本当に羨ましい。

筆者の森知子はサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約810キロを41日かけて歩いている。一日平均20キロほどだ。
この40日ちょっとという期間がまたいい。
やはり日数が短いと、旅という非日常の世界にドップリ浸かるというところまでいけない。
かと言って、長ければ長いほどいいかというと、どうやらそうでもなさそうなのである。
超長期の旅行記を読むと決まって書いてあることがある。旅を続けているうちに非日常であるはずの異国での旅がいつしか当たり前の毎日になり、何を見ても、どこへ行っても、何も感じない。感性が摩耗して心が動かなくなる、という状態に陥るのである。
我々はつい、旅が長ければ長いほど、移動する距離が長ければ長いほど、それに正比例するように豊かな経験や感動が得られると考えてしまうが、どうやらそうではないようなのだ。
その点、このカミーノの40日ちょっとという期間は長旅の「美味しい」ところを味わうのに丁度よさそうなのだ。

この本は、一日ごとの出来事を日記式に書いている。
森知子はもともとライターであり、はじめから記事にするつもりで記録をつけているので、日々のちょっとした出来事も生き生きと描かれている。
あまり期間が長ければダレてしまってこうは書けなかっただろう。

こうした長旅ではよくあることのようだが、歩く速さが近い他のペリグリーノとは特に歩調を合わせていなくても、追い越したり追い越されたりしながら何度も出会い、親しくなっていくという現象が起こる。
そうして顔見知りになった、世界各地からのペリグリーノのキャラクターの掴み方、描き方が達者で、やがて生まれる巡礼者間の連帯感もよく伝わってくる。
徒歩旅行はともかく、海外旅行の経験は豊富な筆者ならではなのだろう。

この本で知った言葉がある。
ウルトレイア(もっと遠くへ)。
いい言葉だ。

そして旅の終盤。旅が終わるのが惜しい、もっと旅を続けたいという気持ちに襲われるのも長期旅行記では定番である。
その点でも、この巡礼路はよく出来ている。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を済ませた者には更に西のフィステーラ、大西洋に突き出した岬まで歩く道があるのだ。
まあオマケみたいなものだが、筆者は3日かけてこの道を歩いている。

40日ちょっとという期間は、子供の夏休みとだいたい同じだ。
40日ほどの徒歩旅行。
大人の夏休み。
行けるものなら行ってみたい。
いや、長期旅行記をいくつか読んで思うのは、現代日本人なら本当に行きたいと思えばたいていの所には行けるということだ。
自分のなかに「本当に行きたい」という思いがこの先、湧いてくるかどうかわからない。
だが、憧れは確かにある。

村上春樹『雨天炎天』(新潮社)(※村上春樹の巡礼路徒歩旅行記)

吉田正仁『リアカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎文庫)

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