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いろいろ歩いて行くブログ

いろいろ歩いて行った記録です。 山域のカテゴリーはだいたい昭文社の登山地図にしたがっています。

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2015年6月20日 陣馬山・高尾山

天気がどうも信用できないというか降られそうな気もしたので、この日は定番の陣馬高尾縦走路を歩くことにしました。

新ハイキングコースは使わず、藤野駅から一ノ尾根を通って陣馬山頂を目指します。
駅から北にしばらく歩いていくと陣馬山登山口の道標があるのでそこで右に折れます。
民家の間を通るつづら折りの舗装道を登っていくと登山道に変わります。
こちらのルートは人が少なく、静かな雰囲気で歩けます。
特に歩きにくい箇所もなく、前日の雨にも関わらず水溜りやぬかるみもありません。


順調に歩いて、陣馬山頂に着きました。
写真の通り、朝のうちは青空も見えていました。

高尾山方面に歩いていきますが、トレイルランナーと多くすれ違います。なんだかハイカーより多いくらいですね。
陣馬山から先は、登山道に水溜りや泥濘化した箇所がたくさん出てきます。


明王峠です。


堂所山にも登ってみました。
どうでもいいことですが、この日は「巻き道は使わない」という自己ルールが何故か頭に浮かんだので、それに従ってみました。そんなにストイックさを追求するタイプではないので、単なる気まぐれです。


景信山からの眺めです。スカイツリーくらいは見えました。
広々としていいですね。
山頂は多くの人で賑わっています。


小仏峠。
茶屋の跡と地図屋さん。高尾山周辺や奥多摩、丹沢などの詳細な地図を作って売っています。


小仏峠付近から相模湖方面を望む。


小仏城山まで来ました。ここも眺めがいいですね。


茶屋でなめこ汁を注文。ちょっと遅い昼食にします。

ここから高尾山にかけては木の階段や木道で整備されています。
いつの間にかトレイルランナーたちは姿を消し、カジュアルな服装で歩く人たちが増えています。


一丁平の展望台。


このルートは、高尾から大阪まで続く、総延長1697kmの東海自然歩道の一部でもあります。これを全部踏破する人もいるんですよね…


もみじ台の茶屋にて。

程なく高尾山頂に到着。
多くの人々で賑やかな山頂を通り抜けて、薬王院にお参りに行きます。


薬王院は真言宗智山派のお寺(有名な成田山新勝寺や川崎大師と同じ)ですが、写真のように、立派な鳥居があります。高尾山では今でも修験道の実践が続いていますが、神仏習合の風が残っているのもそのせいでしょうか。
薬師如来とともに飯綱権現を本尊としているところも特徴的です。飯縄権現は飯縄山の神様で天狗の姿で表されます。

お参りの後は、賑やかな参道を外れて2号路を使って下山します。
この時間から登ってくる人と結構すれ違うのも高尾山ならではといったところでしょうか。
そのまま歩いて、リニューアルした高尾山口駅へ。

心配した雨にも降られず、また午後になってもあまり暑くならず、快適に歩けました。
高尾山も悪くないと改めて思う山歩きでした。

その後:
2015年9月5日 臼杵山・市道山・醍醐丸・陣馬山

2015年10月18日 石老山・嵐山・小仏城山・高尾山

2016年3月21日 北高尾山稜・陣馬山

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吉田正仁『リアカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎文庫)

これもまた、タイトルとサブタイトル通りの内容である。幻冬舎の方針なのかもしれない。
もう少し詳しく付け加えると、当時ニートでどちらかというとインドア派だったという著者の吉田正仁は、思い立って、必要な荷物を積んだリアカーを引いて徒歩で上海からポルトガルのロカ岬までのユーラシア大陸横断を試みる。
ロカ岬に辿り着いた著者はそこで満足せず、アメリカに渡り、大西洋岸のアトランティック・シティからカナダのバンクーバーまで北米大陸を横断。次いでオーストラリア大陸も徒歩で横切り、東南アジア諸国を渡り歩いて出発地の上海まで戻る。
総移動距離は、赤道一周と同じ4万キロだという。4年半かかっている。

リアカーに積んだ荷物は70キロ以上。テントなども持って、野宿も多かったようだ。オーストラリアでは一日60キロのペースで歩いたというから驚く。
ちなみに、リアカーのタイヤは井上ゴム工業(IRC)のものを日本から6本持っていったがとうとう使い果たしてしまい、現地でタイヤやチューブを入手するも、どれもすぐにダメになってしまったそうだ。さすがはIRCということか。

旅を終わらせたくなくなる心理現象がこの著者の場合もやはり起きているようで、上海に着いた後も日本に帰る前に台湾一周をして、さらに帰国後も大阪から自宅のある鳥取まで歩いている。心理的なクールダウンの為にも、こうした延長戦は必要になってくるのかもしれない。

しかし、このレベルの旅になると自分も行ってみたい、というような気持ちはまるで湧いてこない。
著者は旅の途中で何度か体調を崩しているようだし、犯罪や事故に巻き込まれる危険もあっただろう。そう考えると、旅行によって得られる満足感より、リスクの方が遥かに大きく感じてしまうのだ。

著者がどういう人物かまったく存じ上げないが、文章から感じる印象は真面目でどちらかというと内向的な青年である。
この旅に同行者はいない。
英語もろくに通じない地域も多かっただろう。
多くの人が歩く道であれば、歩くペースの近い者どうしで親しくなっていく機会もあるだろうが、地球一周の徒歩旅行ともなるとそれも難しい。
自転車旅行者との交流はあったようだが、如何せん、徒歩と自転車とではスピードが違いすぎるため、長くは一緒にいられない。
孤独な旅である。
本には、旅先で出会った人との交流のエピソードが書かれているが、そうした人とも別れて旅を続けなければならない。

この本はつまり青春の記録なのだろう。
だからもう自分では真似はできないし、そんな気持ちも湧いてこない。
ただ少し遠くから眺めて、こんな青春を送った人もいるんだなという感慨が湧き上がる、そんな本だった。

森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)

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2015年6月13日 牛奥ノ雁ヶ腹摺山・小金沢山・大菩薩嶺

関東地方も梅雨入りしましたが、予報では雨は降らないようだったので行ってきました。

甲斐大和駅からバスに乗ります。小型のバス2台。補助席も使ってですが座って行けました。
すずらん昆虫館前で下りるつもりでしたが、アナウンスもなく通り過ぎそうになります。別の人が運転手に声をかけて停めてもらいました。
終点の上日川峠まで乗る人が圧倒的多数のようで、途中で下りるつもりの人は予め運転手に声をかけておいた方がいいかもしれません。


この登山口を使う人は少ないようです。蝉の大合唱が聞こえます。


こんな感じの林道をしばらく歩いた後、山道らしくなってきます。
針葉樹と広葉樹の交じり合う、なかなか感じのいい道です。


大きな岩があるなあと思って見るとパノラマ岩と名がついていました。


パノラマ岩の上からの眺め。大菩薩湖が見えます。


この付近の木は立ち枯れています。何故でしょうか?


牛奥ノ雁ヶ腹摺山の山頂です。
天気はまあまあですがあまり遠くは見えません。それでも西には青空も見えるのですが、東側はドヨンと灰色の雲が空を覆っています。
風は涼しく快適です。

ここから大菩薩嶺に向けて北上。
大菩薩方面から来る人と頻繁にすれ違うようになります。


針葉樹の森。薄暗く湿って、苔むしています。


明るく乾いて、見晴らしのいい笹原。
異なる風景が交互に現れて退屈しません。


小金沢山頂。
ここで一息ついて昼食。



上日川峠からの道と合流する石丸峠は笹原の中にあります。
この付近にはつつじも咲いていて、赤い花の色が目を惹きます。


大菩薩峠に到着。人がたくさんです。
ちょっと休んで行動食を齧ったら、大菩薩嶺に向けて歩き出します。


道を振り返って、大菩薩峠と介山荘を眺めます。


大菩薩嶺へと続く道。


ここが標高2000メートルとのこと。
大菩薩峠と嶺の間はとても多くの人が歩いています。家族連れも多いですね。
午後に入っても涼しく、気持ちよく歩けます。


大菩薩嶺の山頂は展望もなく地味です。
この先は丸川峠を経て下山します。


樹林帯はつまらないと足早に歩き去る人も多いようですが、大菩薩嶺の森は雰囲気があってわりと好きです。コメツガ林とのこと。
標高を下げていくと広葉樹が増えてくるようです。それとともに再び蝉の声も大きくなってきます。


開けた所に出ると、そこが丸川峠でした。

だんだん疲れが出てきて、丸川峠からの下り道は足にこたえます。
気温も高くなってきたよう。
頑張って下り続けます。

その後、無事に裂石のバス停まで辿り着きました。
ところがやって来たバスが既に満席で立っている人もいます。裂石で更に乗りこんだので、なかなかの満員バスと化します。
少し先の大菩薩の湯前のバス停でもたくさん人が待っており、乗りきれずに次のバスを待つ人もいました。

梅雨の合間を狙っていきましたが、雨に降られることもなく、気持ちのいい山歩きが出来ました。
深田久弥の『日本百名山』でも、大菩薩嶺は手軽に行けて楽しい山という風な紹介をされていましたが、期待に違わぬいい道を歩けました。
また歩きたい山です。

2015年10月24日 大菩薩峠・小金沢山・牛奥ノ雁ヶ腹摺山・黒岳・湯ノ沢峠

2016年1月31日 大菩薩嶺

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森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)

サブタイトルの通りの内容だが、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼路、「フランス人の道」を筆者が歩いた記録である。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは使徒聖ヤコブ(イアゴ)の墓所がある土地で、古くからのカトリックの巡礼地である。
とはいえ、筆者の森知子がこの巡礼路を歩くのは信仰心からではなく、イギリス人の夫との事実上の離婚(法的にはまだ離婚の手続きは済んでいないが)という精神的なショックが動機であり、また旅の原動力であったようだ。
そういう経緯で始まった旅だが文章は湿っぽくなることもなく、むしろ「ファッキン」が連発するフランク過ぎるほどの文体だ。

「カミーノ」というのは道という意味で、もう少し具体的に「巡礼路」くらいの意味で使われているようだ。
そのカミーノを歩くのが「ペリグリーノ」すなわち巡礼者。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道、カミーノを歩くのは冒険行ではない。登山のような危険は少ない。
道は巡礼の印である貝殻と黄色の矢印の道標を辿っていけばいい。
道の所々にペリグリーノが水を補給できるための蛇口が用意され、何なら通りかかった村のバルでビールを一杯飲んでいってもいい。
アルベルゲという巡礼宿があり、場所によっては無償である。もちろん、快適さを求めるなら普通のホテルに泊まってもいい。
おまけにペリグリーノの医療費は無料なのである。
毎日歩き続ける体の辛さはあるし、虫に刺されたり、強烈な日差しに焼かれたり、いろいろ面倒事はあるだろうけれども、これだけ歩く者へのサポートがあって、スペインの田舎道を歩く楽しみをたっぷり味わえるのは本当に羨ましい。

筆者の森知子はサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約810キロを41日かけて歩いている。一日平均20キロほどだ。
この40日ちょっとという期間がまたいい。
やはり日数が短いと、旅という非日常の世界にドップリ浸かるというところまでいけない。
かと言って、長ければ長いほどいいかというと、どうやらそうでもなさそうなのである。
超長期の旅行記を読むと決まって書いてあることがある。旅を続けているうちに非日常であるはずの異国での旅がいつしか当たり前の毎日になり、何を見ても、どこへ行っても、何も感じない。感性が摩耗して心が動かなくなる、という状態に陥るのである。
我々はつい、旅が長ければ長いほど、移動する距離が長ければ長いほど、それに正比例するように豊かな経験や感動が得られると考えてしまうが、どうやらそうではないようなのだ。
その点、このカミーノの40日ちょっとという期間は長旅の「美味しい」ところを味わうのに丁度よさそうなのだ。

この本は、一日ごとの出来事を日記式に書いている。
森知子はもともとライターであり、はじめから記事にするつもりで記録をつけているので、日々のちょっとした出来事も生き生きと描かれている。
あまり期間が長ければダレてしまってこうは書けなかっただろう。

こうした長旅ではよくあることのようだが、歩く速さが近い他のペリグリーノとは特に歩調を合わせていなくても、追い越したり追い越されたりしながら何度も出会い、親しくなっていくという現象が起こる。
そうして顔見知りになった、世界各地からのペリグリーノのキャラクターの掴み方、描き方が達者で、やがて生まれる巡礼者間の連帯感もよく伝わってくる。
徒歩旅行はともかく、海外旅行の経験は豊富な筆者ならではなのだろう。

この本で知った言葉がある。
ウルトレイア(もっと遠くへ)。
いい言葉だ。

そして旅の終盤。旅が終わるのが惜しい、もっと旅を続けたいという気持ちに襲われるのも長期旅行記では定番である。
その点でも、この巡礼路はよく出来ている。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を済ませた者には更に西のフィステーラ、大西洋に突き出した岬まで歩く道があるのだ。
まあオマケみたいなものだが、筆者は3日かけてこの道を歩いている。

40日ちょっとという期間は、子供の夏休みとだいたい同じだ。
40日ほどの徒歩旅行。
大人の夏休み。
行けるものなら行ってみたい。
いや、長期旅行記をいくつか読んで思うのは、現代日本人なら本当に行きたいと思えばたいていの所には行けるということだ。
自分のなかに「本当に行きたい」という思いがこの先、湧いてくるかどうかわからない。
だが、憧れは確かにある。

村上春樹『雨天炎天』(新潮社)(※村上春樹の巡礼路徒歩旅行記)

吉田正仁『リアカー引いて世界の果てまで 地球一周4万キロ、時速5キロのひとり旅』(幻冬舎文庫)

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村上春樹『雨天炎天』(新潮社)

1988年の旅の記録なので、少し古い本だ。
ベストセラー作家村上春樹の作品としては地味な部類に入るかもしれない。
この本の前半はギリシャのアトス半島の徒歩旅行、後半は自動車でのトルコ一周旅行について書かれている。より面白いと感じたのは前半の方で、ブログのテーマからも前半に絞って感想を記したい。

アトス半島はギリシャ正教徒にとって巡礼地である。女人禁制であり、外国人は三泊四日までしか滞在を許されない(村上一行はトラブルにより滞在が一日増えてしまうのだが)。
村上春樹は、その巡礼路を歩いて修道院を巡って行く。
修道院は巡礼者に食事や宿泊を提供してくれる。これは正教徒でなくても構わないようだ。

文体は例の「春樹節」で、好き嫌いはともかく読みやすいと思う。
カメラマンと編集者が同行しており、彼らの折々の言動も記されてはいるのだが、キャラクターとしてクローズアップされることはあまりない。あくまで、作家村上春樹が自らの印象を記していくというスタイルだ。それだけ「春樹節」が冴えるわけだが、仲間たちとワイワイやっている臨場感は乏しくなってしまうのは仕方ないか。

五日間の徒歩旅行。
旅行記という括りで見れば特別すごいことをしているわけでもないけれども、村上の視点から描かれるギリシャの巡礼地の様子は一読の価値がある。
地中海の日差しに照らされてギリシャの山道を歩いた後に、古びた修道院で振る舞われる甘いギリシャコーヒーと強い酒のウゾー、ダダ甘いルクミというゼリーは、どんな味がするのだろう?

数ある村上春樹作品の中で不思議と気になる作品だ。
文庫化されているが、単行本も新装版が手に入る。

森知子『カミーノ! 女ひとりスペイン巡礼、900キロ徒歩の旅』(幻冬舎文庫)

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